2025年11月5日水曜日

大阪防災情報メール(訓練)が届き

公園を歩いていると避難訓練の放送が流れました。
放送が終了しても訓練のアナウンスが流れているなぁと思ったら
背負っていたリュックに入れていたスマホから流れていました。
「OK」をタップしないと止まらない……
私も含めてですが周りの人は気にせずに歩いていました(^^ゞ
一方、ヤマトシジミは葉陰に隠れていましたが
避難訓練ではなく寒かったからかな(^_-)

「世界津波の日」 電車から高台への避難訓練 和歌山 広川町〟(関西NHK)
知恵泉「不可能を可能にした不屈の商人!角倉了以の構想力
を見ていて高瀬川が暗渠になる可能性があったことにビックリ!!!
住民の反対で中止になりましたが、
川は、町の中で邪魔者扱いになっていったといいます

それを安藤忠雄さんの設計した建物が人々の意識を変えました。
目指したのは
川の流れが建物に入り込んでくるような緊張感のある関係」(安藤忠雄著『建築家 安藤忠雄』)
 6 安藤忠雄と若林広幸 
 ――京都で仕事をするということ―― 

 ◆安藤忠雄の雄たけびを聞く


 さて、安藤忠雄のTIME‘Sビル(第1期 1984年竣工、第2期1991年竣工)である。
どちらも、高瀬川という運河に面している。
川ぞいに、プラットフォームを、はりだしている。
にもかかわらず、手すりはほどこされていない。
ヴェネチアやアムステルダムのような空間が、そこにはできている。
 画期的な仕事である。
よく、役所の確認申請を無事にとったなと、建築の心得がすこしある私は、そう思う。
 高瀬川は底があさい。
わずかに、数センチといったところであろう。
あんなところへおちても、人命がそこなわれるはずがない。
役所がゆるしたのも、あたりまえじゃないかと考えるむきも、おられようか。
(『京都洋館ウォッチング』井上章一 新潮社 2011年)
 だが、それは甘い。
日本の役所は、あんなところでさえ、手すりをつけさせようとするのである。
 その証拠に、TIME‘Sビルのあとで、北側へできたビルを見てみよう。
安藤作品とは、三条通をへだててむかいあっているビルである。
やはり、高瀬川へむかって、プラットフォームをもうけている。
そして、そこにしつらえられた手すりを、じっくりながめてほしい。
高瀬川でさえ、役所は手すりをもとめる、そのあからさまなあかしが、目に入る。
 おわかりだろう。
やはり、安藤は役所の要求をはねつけていたのである。
訴訟をきらい、安全性をなにより重んじる。
そんなお役所仕事には、ながされない。
彼らをしりぞけ、都市と建築の美しさをおしとおす。
その力強さを、TIME‘Sビルでは見せつけたのである。

 …後略…

(『京都洋館ウォッチング』井上章一 新潮社 2011年)
 「神々の国の首都」つづき

    

 それから今度は私のところの庭に面した川岸から柏手(かしわで)を打つ音が聞えて来る。
一つ、二つ、三つ、四つ。
四回聞こえたが、手を打つ人の姿は灌木の植え込みにさえぎられて見えない。
しかし、それと時を同じゅうして大橋川の対岸の船着き場の石段を降りて来る人たちが見える。
男女入り混じったその人たちは皆、青い色をした小さな手拭(てぬぐい)を帯にはさんでいる。
彼等は手と顔を洗い、口をすすぐ。
これは神式のお祈りをする前に人々が決まってする清めの手続である。
それから彼等は日の昇る方向に顔をむけて柏手を四たび打ち、続いて祈る。
(『神々の国の首都』小泉八雲著 平川祐弘編 講談社学術文庫 1990年)
長く架け渡された白くて丈の高い橋から別の柏手の音がこだまのようにやって来る。
また別の柏手がずっと向こうの三日月のようにそり上がった華奢(きゃしゃ)な軽舟からも聞こえて来る。
それはとても風変りな小舟で、乗り込んでいるのは手足をむき出しにした漁師たちで、突っ立ったまま黄金色(こがねいろ)に輝く東方にむかって何度も額(ぬか)ずく。
今や柏手の音はますます数を加える。
パンパンと鳴るその音はまるで一続きの一斉射撃かと思われるほどに激しさを増す。
と言うのは、人々は皆お日様、光の女君(めぎみ)である天照大神にご挨拶申し上げているのである。
「こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌(ごきげん)麗しくあられませ。世の中を美しくなさいますお光り千万(せんまん)有難う存じまする」
 たとえ口には出さずとも数えきれない人々の心がそんな祈りの言葉をささげているのを私は疑わない。
或る人たちは太陽に向かってだけ柏手を打っているが、ずいぶん多くの人たちは次に西に向かって聖なる杵築(きづき)の大社(おおやしろ)を拝む。
又、少なくない人々は引き続き顔をあらゆる方角に向けて数知れぬ神々の御名を唱える。
また一部の人は日の神を拝んだ後は薬師如来の寺である一畑様の方向を望む。
この薬師如来は盲人の目を見えるようにして下さる仏様であるから、神式に柏手を打たないで、手のひらを静かにすり合わせる。
これが仏教徒の遣り方なのだ。
しかし、すべての人は――何しろ日本でも最も古くから開けたこの地方のこととて、仏教徒は誰でも同時に神道信奉者であるから――神道のお祈りの古い言い回しの「祓い給え、清め給えと、神忌み給え」をいつでも唱える。
 お祈りを捧げる相手は仏教伝来以前にこの豊葦原(とよあしはら)の国に勢力を振るっていた神々、殊に当地八雲(やくも)立つ出雲の国では今なお勢力を振るっている神々である。
すなわち原始混沌の神々、太古の海の神々、この世界が始まった時分の神々――宇比地邇(うひじに)の神(最初の泥の神)や須比地邇(すひじに)の神(最初の砂の女神)というような奇妙な長い名前の神々とその同族――又その神々の後から現われなすった力強く姿麗しい神々、この国を造られ、山々や島々を造られた神々で、その血筋は今なお「日継ぎ」と呼ばれている天皇家の先祖の方々へのお祈りが捧げられる。
又お祈りは「国の尻、道の果てにまで住み給う」三千の神々と青く澄んだ高天(たかま)の原に住まわれる八百万(やおよろず)の神々――つまりは「日本国中八百万の神々様」に向かって捧げられる。

 …後略…

(『神々の国の首都』小泉八雲著 平川祐弘編 講談社学術文庫 1990年)

この後も美しい描写が続きます。
ぜひ、本を手に取ってみてください。
小泉八雲のおもかげ ばけばけトミー・バストウが巡るアイルランドとニューオーリンズ

小泉八雲のアイルランド時代やニューオーリンズ時代をトミー・バストウさんが訪ねていました。
日本での生活は15年間、それまでの長い期間、ラフカディオ・ハーンがどのような暮らしていたか
日本に来ても心の片隅に流れてい」たという
シャーンノス歌手のマレッド・ニー・フハラルタさんが歌うアイルランドの子守唄

トミー・バストウさんが、
両親に捨てられ愛に飢えていたハーンが
この子守唄を聞くことで、初めて愛を感じたのだと思います。
母親が子を守るように
歌が彼の心を静かに包込んだ。
その瞬間、彼は初めて守られていると感じたのかもしれない


クレオール料理のガンボスープ
小泉八雲のレシピ帖』には、料理の挿絵がないのでイメージできませんでしたが
実際に調理してくれたので美味しそうだなと思いました(^_^)v
今朝の父の一枚です(^^)/
イチョウの葉が黄色くなってきました。

 「花押の鶺鴒はセグロセキレイ?」つづき 

 花押は基本的に名前の文字を図案化するもので、政宗の場合は「政」と「宗」、もしくはそれに「伊達」を加えてデザイン化しています。
その崩し方をセキレイの形に似せたケースがあるわけですが、私がみたところでは明らかにセキレイに見えるような形ではなく、そう思って見てみれば見えなくもない、という程度です。
横長で、尾の長いスラッとした細身の鳥らしき形の花押は確かに何種類かあり、それを指して〝鶺鴒の花押〟と呼んだのだろうと思います。
 秀吉が政宗を問いただした時の書状が現存していれば、セキレイの形や目の位置といった重要なポイントがわかって非常に興味深いのですが、残念ながらその後の大坂冬の陣(1614)・夏の陣(1615)で豊臣家が滅亡した過程で灰燼に帰してしまったと考えられ、見つかっていません。
したがって、政宗が一揆勢に送ったとされる書状は確認できず、もちろんその書状に記されていた花押も特定することはできません。
ただ、天正18(1590)年頃に政宗が使用していた花押はある程度わかるはずですから、その解明が待たれます。
 
 …つづく…

(『鳥たちが彩る日本史 武将・文人と交わる8種類の鳥』大橋弘一 山と渓谷社 2025年)