唯一、運動ができたのは、「心臓リハビリ」でした。
30分間、トレッドミルで歩き続け、1.7km歩きました。
公園で30分間ひたすら歩き続けることはしません(^_^;
今朝は、曇ったり晴れたりの天気でした。
この夏にあまりカマキリと出会うことがありませんでしたが
オオカマキリの卵鞘(らんしょう)に出会いました。
「カマキリの冬ごし」(小学3~6年) 今日、明日とイベントがあり多くの人が来園していました。
熱気球は、公園に来たときは、上がっていたのですが(試験飛行?)
風が強かったので中止になったのかな?
帰るときに見ると上がっていませんでした。
前回の日記に楠本イネに子どもが出来たことを転記しました。
楠本高子の夫の名前は「三瀬周三(みせしゅうぞう)」と書かれていましたが、「諸淵(もろぶち)」に変わっています。
コラム メーテルのモデル高子
明治4年3月、三瀬夫婦は心斎橋の写真館で写真を撮る。
箱に収められたガラス湿版写真で、箱蓋の裏面には「浪花 心斎橋北詰 写真師 中川信輔」の焼印がある。
諸淵は羽織袴で右手に刀を持ち、19歳になってまもない高子(たかこ)は矢筈絣の着物姿である。
高子の最も有名な写真で、よくその美貌を伝えている。
(『幕末の女医 楠本イネ――シーボルトの娘と家族の肖像』宇神幸男 現代書館 2018年) 漫画家・アニメーション作家松本零士は、1990年代の初め、大洲でこの写真を見て愕然とする。
高子の顔は松本の代表作「銀河鉄道999」のメーテルのイメージそのものだったからである。
「私は昔から、彼女(高子)のような顔を描こうと努力してきたし、私が描く女性は皆彼女のようなのだ。美人というだけではない。この骨格、気の強そうな雰囲気、優しくも厳しそうな瞳。何もかもがそうだった」
松本零士の先祖は根っからの大洲人で、三瀬諸淵と同郷である。
また、高子が死んだ年、松本零士は生まれている。
運命的なものを感じた松本は、マスコミを通じて高子について語り、写真を紹介し、その美貌をたたえた。
以来、高子は幕末・明治最高の美女、メーテルのモデルとして脚光を浴びる。
(『幕末の女医 楠本イネ――シーボルトの娘と家族の肖像』宇神幸男 現代書館 2018年)
「楠本高子」などで検索するとヒットすると思います。朝ドラ「ばけばけ」第5週「ワタシ、ヘブン。マツエ、モ、ヘブン。」
今週も怒濤の展開でした。
小泉八雲記念館の投稿(10月30日)に
#ばけばけ
ヘブン先生、花田旅館でいろいろなことを巻き起こして、ハラハラドキドキです。
当時のハーンのエピソードは口述筆記として残され、今に伝えられています。
女中のお信の目を気遣い、お風呂が熱くて「ジゴク」と言って飛び出し、糸蒟蒻が嫌いで、生卵を一度に9個も食べたことなど😆ラフカディオ・ハーンは、卵好きで料理指南書に
卵料理(オムレツなど)
卵を選ぶときは、一つ一つを明かりにかざして見ること。
新鮮ならば白身が透き通って黄身がくっきり見えるはずだ。
ぼんやりしていたら古い卵である。
卵をゆでるときは、なるべく新鮮なものを選ぶこと。
ふすま(注1)に包んで保存すると、数週間くらい鮮度を保てる。
保存するときはとがったほうを下にして箱に並べること。
まら、ラードか牛肉の脂肪分を溶かして塗っておくと何カ月ももつ。
薄い塩水にライムを加えたものに漬けてもよい。
ただし塩分が濃いめだと卵の殻を傷めるし、濃すぎると卵そのものがだめになってしまう。
バケツ一杯の水に塩パイントとライム1パイント加えてよくかき混ぜ、漬けるとよい。
(『小泉八雲のレシピ帖』河島弘美監修、鈴木あかね訳 CEメディアハウス 2025年) オムレツを作るときは、厚底のフライパンを用いること。
普通のフライパンでは薄すぎて、中に火が通る前に卵が焦げついてしまう。
オムレツや卵、パセリのフライなどをひっくり返すときは、平で薄く、穴からフライの油分を落とせるような網じゃくし(フライ返し)を使うこと。四旬節(注2)向けの卵のグラタン
(…略…)
ポーチドエッグ トーストとアンチョビペースト添え
(…略…)
オムレット・オ・ナチュレル(プレーンオムレツ)
(…略…)
エシャロット入りのおいしいオムレツ
(…略…)
オムレットスフレ
(…略…)
とてもおいしいオムレツ
(…略…)
牡蠣入りオムレツ
(…略…)
注1 ふすま 小麦を挽いて粉にするときにできる皮の屑。
注2 四旬節 キリスト教における「灰の水曜日」からイースター(復活祭)前夜までの6週間半をいう。荒野で断食したキリストを記念し、信者はこの期間、断食やざんげを行う。
(『小泉八雲のレシピ帖』河島弘美監修、鈴木あかね訳 CEメディアハウス 2025年)
松江で迎えた朝の情景が描かれていました。
神々の国の首都
一
松江の一日で最初に聞える物音は、ゆるやかで大きな脈搏が脈打つように、眠っている人のちょうど耳の下からやって来る。
それは物を打ちつける太い、やわらかな、にぶい音であるが、規則正しい打ち方と、音を包み込んだような奥深さと、聞えるというより寧(むし)ろ感じられるように枕を伝わって振動がやって来る点で、心臓の鼓動に似ている。
それは種を明かせば米搗(つ)きの重い杵(きね)が米を精白するために搗き込む音である。
杵というのは巨大な木槌(きづち)で、十五フィート(四メートル半)ばかりの長い水平の柄が中央の回転軸によって平衡を保つようになっている。
裸の米搗き男は水平の柄の片端を力一杯踏むことで杵を押し上げる。
それから踏んだ足をはずせば杵は自分の重みで米の入った臼(うす)の中へ落ちて行く。
杵が臼を打つ規則的な、にぶく鳴り響く音こそは日本人の生活から生まれる物音のうち最も哀感を誘うものと私には思われる。
実際それはこの国が脈打つ鼓動そのものである。
(『神々の国の首都』小泉八雲著 平川祐弘編 講談社学術文庫 1990年) それから禅宗の洞光寺(とうこうじ)の大釣鐘がゴーン、ゴーンという音を町の空に響かせる。
次に私の住む家に近い材木町の小さな地蔵堂から朝の勤行(ごんぎょう)の時刻を知らせる太鼓の物悲しい響きが聞えてくる。
そして最後には朝一番早い物売りの呼び声が始まる。
「大根(だいこ)やい、蕪(かぶ)や蕪」と大根そのほか見慣れぬ野菜類を売り回る者。
そうかと思えば「もややもや」と悲しげな呼び声は炭火をつけるために使う細い薪(まき)の束を売る女たちである。 二
このように町の人たちの生活が始まる早朝の物音に起こされて、私は小さな障子を開けて朝の様子を眺め渡す。
川っ縁で区切られた庭から若葉が伸び上がり、柔らかな緑の雲といった趣を呈している。
私の前には対岸のあらゆる物のゆらぐ姿を映しながら、大橋川の幅広い鏡のような水面がちらちら光る。
その水面は更に広がって宍道湖(しんじこ)となり、そこから湖の洋々たるおもては右手に向かってぐんぐん伸びて、遙かに霞む山並みが灰色のわくをつくる境界線に達する。
川を隔ててちょうど私と向き合ったところにある日本式の住居は青っぽい屋根がいやに目立つ家並みを連ね、それがどれも雨戸を立て渡して、箱を閉じたように締め切ったままになっている。
と言うのも、夜は明けたが、朝日の昇る時刻にはまだ少し間があるからである。 しかし、ああ、その光景の魅力はどうだろう。
あの靄(もや)に侵されて定かならぬ朝の最初の艶(つや)やかな色合い。
こいう朝の色綾(いろあや)は眠りそのもののように柔らかな靄から軽く抜け出て目に見える蒸気となってうごく。
ほのかに色づいた霞(かすみ)は長く伸び広がって湖の遙か彼方の端にまで達する。
それは古い日本の画帖で読者も見たかもしれない長い帯状の雲で、それまで実物を見ていない限り、画家の気まぐれな思い付きと片付けてしまったかもしれない代物(しろもの)だ。
山々の裾はすべてその霞で隠される。
更に霞は果てしなく長い薄折り布のように、より高い峰々をそれぞれ違った高さの所で横切って進む。この奇妙な霞の有様を日本語では霞が「棚引(たなび)く」と言うが、そのため湖は実際より比較にならないほど大きく見え、現実の湖というよりも寧ろそれは曙(あけぼの)の空と同じ色をした美しい幻の海となり、空そのものと見事に溶け合う。
幾つもの峰の頂が濃い靄(もや)のなかから島のように浮かび、山並みのかすかにたどれる輪郭の幾すじかは果てしない土手道のように伸びつづけながら先細りして消え失せる。
それは素晴らしい混沌の領域で、淡い朝靄がごく緩やかに立ちのぼるにつれていみじくも変化してやまない。 太陽の黄金色(こがねいろ)の縁がのぞきはじめると、今までよりもっと暖かい色調の――淡い菫(すみれ)いろや乳白色の――微妙・繊細な光線がさっと差し込み、木々の上端のこずえは火のような赤味で照り映え、美しい靄をへだてて見る川向うの高い建物の木造の前面は本来の木の色からしっとりした黄金色に変る。 日の出る方向にむかって、大橋川の何処までもつづく水面を眺めると、沢山の支柱にささえられた木造の大橋の向う側で今ちょうど帆を揚げている高い船尾楼をもった平底船が嘗(かつ)て見たことのないほど美しくも幻想的な船に私には思われてくる。
薄くかかった靄で一層象徴味を帯びた東洋の海の夢まぼろし――幻めいた船ではあるが、雲が日差しを受けて映えるように日差しをまともに受けて半透明の黄金色の靄につつまれ、薄青い光のなかで宙に浮くその姿を更にくずさない。
…つづく…
(『神々の国の首都』小泉八雲著 平川祐弘編 講談社学術文庫 1990年)小泉八雲記念館の投稿(10月29日)
#ばけばけ
ヘブンさんが見た松江の朝。ハーンが著書に書いた景色が蘇るようでした。
様々な音に耳を傾けたハーンは「サウンドスケープ(音風景)」で松江の街をとらえました。
ハーンが「神々の国の首都」と呼んだ松江の描写をぜひ『知られぬ日本の面影』で読んでみてください🏯
#小泉八雲 #小泉セツ
前回の日記に楠本イネに子どもが出来たことを転記しました。
楠本高子の夫の名前は「三瀬周三(みせしゅうぞう)」と書かれていましたが、「諸淵(もろぶち)」に変わっています。
コラム メーテルのモデル高子
明治4年3月、三瀬夫婦は心斎橋の写真館で写真を撮る。
箱に収められたガラス湿版写真で、箱蓋の裏面には「浪花 心斎橋北詰 写真師 中川信輔」の焼印がある。
諸淵は羽織袴で右手に刀を持ち、19歳になってまもない高子(たかこ)は矢筈絣の着物姿である。
高子の最も有名な写真で、よくその美貌を伝えている。
(『幕末の女医 楠本イネ――シーボルトの娘と家族の肖像』宇神幸男 現代書館 2018年) 漫画家・アニメーション作家松本零士は、1990年代の初め、大洲でこの写真を見て愕然とする。
高子の顔は松本の代表作「銀河鉄道999」のメーテルのイメージそのものだったからである。
「私は昔から、彼女(高子)のような顔を描こうと努力してきたし、私が描く女性は皆彼女のようなのだ。美人というだけではない。この骨格、気の強そうな雰囲気、優しくも厳しそうな瞳。何もかもがそうだった」
松本零士の先祖は根っからの大洲人で、三瀬諸淵と同郷である。
また、高子が死んだ年、松本零士は生まれている。
運命的なものを感じた松本は、マスコミを通じて高子について語り、写真を紹介し、その美貌をたたえた。
以来、高子は幕末・明治最高の美女、メーテルのモデルとして脚光を浴びる。
(『幕末の女医 楠本イネ――シーボルトの娘と家族の肖像』宇神幸男 現代書館 2018年)
「楠本高子」などで検索するとヒットすると思います。朝ドラ「ばけばけ」第5週「ワタシ、ヘブン。マツエ、モ、ヘブン。」
今週も怒濤の展開でした。
小泉八雲記念館の投稿(10月30日)に
#ばけばけ
ヘブン先生、花田旅館でいろいろなことを巻き起こして、ハラハラドキドキです。
当時のハーンのエピソードは口述筆記として残され、今に伝えられています。
女中のお信の目を気遣い、お風呂が熱くて「ジゴク」と言って飛び出し、糸蒟蒻が嫌いで、生卵を一度に9個も食べたことなど😆ラフカディオ・ハーンは、卵好きで料理指南書に
卵料理(オムレツなど)
卵を選ぶときは、一つ一つを明かりにかざして見ること。
新鮮ならば白身が透き通って黄身がくっきり見えるはずだ。
ぼんやりしていたら古い卵である。
卵をゆでるときは、なるべく新鮮なものを選ぶこと。
ふすま(注1)に包んで保存すると、数週間くらい鮮度を保てる。
保存するときはとがったほうを下にして箱に並べること。
まら、ラードか牛肉の脂肪分を溶かして塗っておくと何カ月ももつ。
薄い塩水にライムを加えたものに漬けてもよい。
ただし塩分が濃いめだと卵の殻を傷めるし、濃すぎると卵そのものがだめになってしまう。
バケツ一杯の水に塩パイントとライム1パイント加えてよくかき混ぜ、漬けるとよい。
(『小泉八雲のレシピ帖』河島弘美監修、鈴木あかね訳 CEメディアハウス 2025年) オムレツを作るときは、厚底のフライパンを用いること。
普通のフライパンでは薄すぎて、中に火が通る前に卵が焦げついてしまう。
オムレツや卵、パセリのフライなどをひっくり返すときは、平で薄く、穴からフライの油分を落とせるような網じゃくし(フライ返し)を使うこと。四旬節(注2)向けの卵のグラタン
(…略…)
ポーチドエッグ トーストとアンチョビペースト添え
(…略…)
オムレット・オ・ナチュレル(プレーンオムレツ)
(…略…)
エシャロット入りのおいしいオムレツ
(…略…)
オムレットスフレ
(…略…)
とてもおいしいオムレツ
(…略…)
牡蠣入りオムレツ
(…略…)
注1 ふすま 小麦を挽いて粉にするときにできる皮の屑。
注2 四旬節 キリスト教における「灰の水曜日」からイースター(復活祭)前夜までの6週間半をいう。荒野で断食したキリストを記念し、信者はこの期間、断食やざんげを行う。
(『小泉八雲のレシピ帖』河島弘美監修、鈴木あかね訳 CEメディアハウス 2025年)
料理名だけを列挙していますので興味のある方は本を読んでください(^_-)
朝ドラ「ばけばけ」(23)第5週「ワタシ、ヘブン。マツエ、モ、ヘブン。」松江で迎えた朝の情景が描かれていました。
神々の国の首都
一
松江の一日で最初に聞える物音は、ゆるやかで大きな脈搏が脈打つように、眠っている人のちょうど耳の下からやって来る。
それは物を打ちつける太い、やわらかな、にぶい音であるが、規則正しい打ち方と、音を包み込んだような奥深さと、聞えるというより寧(むし)ろ感じられるように枕を伝わって振動がやって来る点で、心臓の鼓動に似ている。
それは種を明かせば米搗(つ)きの重い杵(きね)が米を精白するために搗き込む音である。
杵というのは巨大な木槌(きづち)で、十五フィート(四メートル半)ばかりの長い水平の柄が中央の回転軸によって平衡を保つようになっている。
裸の米搗き男は水平の柄の片端を力一杯踏むことで杵を押し上げる。
それから踏んだ足をはずせば杵は自分の重みで米の入った臼(うす)の中へ落ちて行く。
杵が臼を打つ規則的な、にぶく鳴り響く音こそは日本人の生活から生まれる物音のうち最も哀感を誘うものと私には思われる。
実際それはこの国が脈打つ鼓動そのものである。
(『神々の国の首都』小泉八雲著 平川祐弘編 講談社学術文庫 1990年) それから禅宗の洞光寺(とうこうじ)の大釣鐘がゴーン、ゴーンという音を町の空に響かせる。
次に私の住む家に近い材木町の小さな地蔵堂から朝の勤行(ごんぎょう)の時刻を知らせる太鼓の物悲しい響きが聞えてくる。
そして最後には朝一番早い物売りの呼び声が始まる。
「大根(だいこ)やい、蕪(かぶ)や蕪」と大根そのほか見慣れぬ野菜類を売り回る者。
そうかと思えば「もややもや」と悲しげな呼び声は炭火をつけるために使う細い薪(まき)の束を売る女たちである。 二
このように町の人たちの生活が始まる早朝の物音に起こされて、私は小さな障子を開けて朝の様子を眺め渡す。
川っ縁で区切られた庭から若葉が伸び上がり、柔らかな緑の雲といった趣を呈している。
私の前には対岸のあらゆる物のゆらぐ姿を映しながら、大橋川の幅広い鏡のような水面がちらちら光る。
その水面は更に広がって宍道湖(しんじこ)となり、そこから湖の洋々たるおもては右手に向かってぐんぐん伸びて、遙かに霞む山並みが灰色のわくをつくる境界線に達する。
川を隔ててちょうど私と向き合ったところにある日本式の住居は青っぽい屋根がいやに目立つ家並みを連ね、それがどれも雨戸を立て渡して、箱を閉じたように締め切ったままになっている。
と言うのも、夜は明けたが、朝日の昇る時刻にはまだ少し間があるからである。 しかし、ああ、その光景の魅力はどうだろう。
あの靄(もや)に侵されて定かならぬ朝の最初の艶(つや)やかな色合い。
こいう朝の色綾(いろあや)は眠りそのもののように柔らかな靄から軽く抜け出て目に見える蒸気となってうごく。
ほのかに色づいた霞(かすみ)は長く伸び広がって湖の遙か彼方の端にまで達する。
それは古い日本の画帖で読者も見たかもしれない長い帯状の雲で、それまで実物を見ていない限り、画家の気まぐれな思い付きと片付けてしまったかもしれない代物(しろもの)だ。
山々の裾はすべてその霞で隠される。
更に霞は果てしなく長い薄折り布のように、より高い峰々をそれぞれ違った高さの所で横切って進む。この奇妙な霞の有様を日本語では霞が「棚引(たなび)く」と言うが、そのため湖は実際より比較にならないほど大きく見え、現実の湖というよりも寧ろそれは曙(あけぼの)の空と同じ色をした美しい幻の海となり、空そのものと見事に溶け合う。
幾つもの峰の頂が濃い靄(もや)のなかから島のように浮かび、山並みのかすかにたどれる輪郭の幾すじかは果てしない土手道のように伸びつづけながら先細りして消え失せる。
それは素晴らしい混沌の領域で、淡い朝靄がごく緩やかに立ちのぼるにつれていみじくも変化してやまない。 太陽の黄金色(こがねいろ)の縁がのぞきはじめると、今までよりもっと暖かい色調の――淡い菫(すみれ)いろや乳白色の――微妙・繊細な光線がさっと差し込み、木々の上端のこずえは火のような赤味で照り映え、美しい靄をへだてて見る川向うの高い建物の木造の前面は本来の木の色からしっとりした黄金色に変る。 日の出る方向にむかって、大橋川の何処までもつづく水面を眺めると、沢山の支柱にささえられた木造の大橋の向う側で今ちょうど帆を揚げている高い船尾楼をもった平底船が嘗(かつ)て見たことのないほど美しくも幻想的な船に私には思われてくる。
薄くかかった靄で一層象徴味を帯びた東洋の海の夢まぼろし――幻めいた船ではあるが、雲が日差しを受けて映えるように日差しをまともに受けて半透明の黄金色の靄につつまれ、薄青い光のなかで宙に浮くその姿を更にくずさない。
…つづく…
(『神々の国の首都』小泉八雲著 平川祐弘編 講談社学術文庫 1990年)小泉八雲記念館の投稿(10月29日)
#ばけばけ
ヘブンさんが見た松江の朝。ハーンが著書に書いた景色が蘇るようでした。
様々な音に耳を傾けたハーンは「サウンドスケープ(音風景)」で松江の街をとらえました。
ハーンが「神々の国の首都」と呼んだ松江の描写をぜひ『知られぬ日本の面影』で読んでみてください🏯
#小泉八雲 #小泉セツ
今朝の父の一枚です(^^)/
ハクセキレイを撮していました。
父と妹が木曜日に新型コロナとインフルエンザのワクチン接種をしました。
金曜日は雨。
二日休んだので歩きたいと人出が多いのを覚悟でやってきました。
第6章 伊達政宗とセキレイ
独眼竜の命を救った花押の謎
花押の鶺鴒はセグロセキレイ?
このエピーソドの最後に、政宗の〝鶺鴒の花押〟について少し説明しておきましょう。
花押(かおう)は、文章の真実性を示すために、日本では平安時代から用いられるようになりました。
自分の名前の一部を崩して意匠化し、署名代わりとしたもので、往々にして花が咲いたように見えることからこのような名称で呼ばれます。
文字の崩し方にいろいろと工夫を凝らした図案的なものも多く見られます。
伊達政宗は年代によって何種類もの花押を使っていました。
花押を新しくした後は以前のものは再び使うことはないとされ、古文書の研究者の間では、日付のない書状でも花押の形状を確認することで書いた時期がわかるそうです。
政宗の花押は、私が調べたところ、少なくとも33種類以上あります。
…つづく…
(『鳥たちが彩る日本史 武将・文人と交わる8種類の鳥』大橋弘一 山と渓谷社 2025年)
ハクセキレイを撮していました。
父と妹が木曜日に新型コロナとインフルエンザのワクチン接種をしました。
金曜日は雨。
二日休んだので歩きたいと人出が多いのを覚悟でやってきました。
第6章 伊達政宗とセキレイ
独眼竜の命を救った花押の謎
花押の鶺鴒はセグロセキレイ?
このエピーソドの最後に、政宗の〝鶺鴒の花押〟について少し説明しておきましょう。
花押(かおう)は、文章の真実性を示すために、日本では平安時代から用いられるようになりました。
自分の名前の一部を崩して意匠化し、署名代わりとしたもので、往々にして花が咲いたように見えることからこのような名称で呼ばれます。
文字の崩し方にいろいろと工夫を凝らした図案的なものも多く見られます。
伊達政宗は年代によって何種類もの花押を使っていました。
花押を新しくした後は以前のものは再び使うことはないとされ、古文書の研究者の間では、日付のない書状でも花押の形状を確認することで書いた時期がわかるそうです。
政宗の花押は、私が調べたところ、少なくとも33種類以上あります。
…つづく…
(『鳥たちが彩る日本史 武将・文人と交わる8種類の鳥』大橋弘一 山と渓谷社 2025年)
伊達政宗のエピーソドについては、本をお読みください(^^)/














