2025年7月16日水曜日

コロコロ変わる

朝、青空でしたが天気予報は雨
降りそうもないけどなぁと思いながら
テレビで確認すると雨雲が近づいている。
散歩に出かけると予報通り大粒の雨が降り出した。
短めに歩くことにしました。
帰る頃には青空が広がっていました。

近畿 大気不安定 急な強い雨や突風に注意を 熱中症対策も」(関西NHK)
月曜日にクマゼミの羽化に出会いました。
近づいても翅が乾くまで逃げることができません。

天敵の目を避けるように、羽化はほとんど夜間に行われる。
夕方、地上を歩く幼虫を見つけたら、連れて帰ってカーテンなどに止まらせてみよう。
必ずその晩のうちに羽化シーンが見られる。

(『散歩で見つける 虫の呼び名事典』森上信夫 世界文化社 2013年)
明日は祇園祭の「前祭山鉾巡行」ですね。

美の壺「動く美術館 祇園祭」(初回放送:2024年7月17日)を見ていて
長刀鉾

江戸時代後期に作られた「三十六禽之図(さんじゅうろっきんのず)
方位や時間を守るとされる 36の生き物。
鉾や町の人々を守る願いが込められているといいます。
手がけたのは錺師
(かざりし)、柏屋善七(かしわやぜんしち)
とりわけ善七の技が光るのがこのなめくじです。
さまざまな鏨を使い独特の質感を追求。
生まれたのはいわば写実を超えた気持ち悪さ。


京都文化博物館の学芸員橋本章さん
町の人も 気持ち悪いとは思ったかもしんないけど
「いや これでいこうよ」って言って出しちゃうわけですよね。


異質なものや違いを認めず排除するところには、分断や争いが起きるだけ。
朝、テレビをつけていると流れてきたのが
みんなのうた「WAになっておどろう ~イレ アイエ~」(初回放送月 1997年4月~5月)

日本に限らず、自国第一主義という異質なものを差別・排除する主張が大手を振って跋扈しています。

日本ペンクラブ言論表現委員会の投稿(7月15日)
【日本ペンクラブ緊急声明】
「選挙活動に名を借りたデマに満ちた外国人への攻撃は私たちの社会を壊します」(桐野夏生会長)
はびこる差別に踊らされず、デマに騙されず。


金井真紀さんの投稿(7月3日)

涼しい顔して気楽に言う。
#差別に投票しない

しにゃい(猫)」(画像)
 内田樹さんの投稿(7月15日)

SNSでは参政党についての批判的コメントが一気に増えました。
でも、新聞は支持率高く、10議席を超えると予測しています。
本質を知らずに支持している人もいるでしょうけれど、差別的・反動的な政策を理解した上で支持している人が多数でしょう。
日本にはそれだけ差別主義者がいたということです。


別にそれに驚いたり、悲しんだりするほど僕はナイーブではありません。
処罰されるリスクさえなければ他人に暴力を揮い、屈辱感や恐怖を与える機会をつねに伺っている人間はどんな集団にも一定の割合で存在します。
重要なのは、そのような人たちが表に出て、好きにふるまうことを許さないことです。

……
今回の参院選挙の動きを見ていると戦前の日本を彷彿とさせます。
2013年に出た本ですが、状況は一層、悪くなっていると思います。

  はじめに

 この本の主題は国民精神総動員運動(以下、精動運動と略)である。
精動運動とは何か?
1937年の日中全面戦争の勃発にともなって、近衛文麿内閣が決定した国民を戦争に動員するための官製運動のことである。
 なぜ遠い過去から精動運動の記憶を呼び戻そうとするのか。
当時と今の国民心理が似ているからである。
どのように類似しているのか?
(『理想だらけの戦時下日本』井上寿一 ちくま新書 2013年)
 2012年12月16日の衆議院総選挙で自民党が大勝した。
民主党に代わって再び政権に復帰した自民党は、サンフランシスコ講和条約発効から60年目のこの年に日本国憲法改正草案をまとめている。
「自衛権」と「国防軍」を明記するこの草案には、「家族の尊重、家族は互いに助け合うこと」との規定もある。
改憲論者で知られる安倍晋三総裁の二度目の首相就任は、改憲に向かって具体的なプロセスが始まったかのように見える。
 他方でこの年、橋下徹大阪市長を中心として、大阪市や大阪府で公立学校の君が代斉唱・日の丸掲揚を条例で強制する動きが賛否両論を巻き起こした。
橋下市長の日本維新の会は、石原慎太郎前東京都知事を代表に招き、衆議院選挙で第二党にとなった民主党に3議席差までに迫る54議席を獲得した。
日本は急角度で「右傾化」が進む。
そのように海外の一部メディアは伝えた。
 たとえばアメリカの『タイム』誌(2012年12月17日号)の表紙デザインは、太陽をかたどった赤い丸が右にずれている日の丸である。
あるいはイギリスの『エコノミスト』誌(2013年1月5日号)のある論考は、第二次安倍内閣を「急進的な国家主義者からなる内閣」と決めつけている。
 このような日本の「右傾化」、「急進的な国家主義」化との批判は、平均的な日本人の政治感覚からすれば、違和感がある。
たとえば自民党の憲法改正案の規定「家族の尊重、家族は互いに助け合うこと」は、家族関係をめぐる復古的イデオロギーというよりも今の国民心理に合っているのかもしれない。
2012年度の内閣府の「男女共同参画社会に関する世論調査」によれば、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきであるか」との質問に対して、賛成する人が前回調査から10.3ポイント増えて51.6パーセントになり、調査開始以来、減少していたのが初めて増加に転じている。
 あるいはつぎのように言うことも可能だろう。
君が代・日の丸の強制が上からの国民精神の再興をめざすものだとすれば、これを批判する側は家族から地域に至る、助け合いのコミュニティによって対抗しようとしている。
この対案と自民党の改憲草案のちがいはわかりにくい。
 現在の印象と同じようなイメージで、戦時下の日本国民が「これがファシズムだ」と批判されたとすれば、同様の違和感を抱いて反発したのではないか。
精動運動の関連史料を読んでいると、そう思わずにはいられなくなる。
 精動運動の歴史は、戦時体制のサイド・ストーリーの断片、または大政翼賛会に至る道の途中の忘れ物といったところだ。
研究も不十分である。
それはそうだろう。
戦時下の官製国民運動の歴史から何を学ぶことができるというのか?
当然の疑問である。
 君が代・日の丸の強制はもちろん、儀式のときは皇居の方角に向かって遙拝する。
朝はラジオ体操、昼は武道で体を鍛える。
強健な兵士になるためである。
おえらいさんの退屈な時局講演会に出席する。
学生・生徒は勤労奉仕に汗を流す。
女性はかっぽう着やモンペ姿で銃後の守りに徹する。
戦況の悪化にともなって、極端な耐乏生活を強いられる。
それでも軍需工場に駆り出される。
戦時食糧の増産に励む。
このような精動運動の歴史が今の日本に伝えるところは少ない。
当時と今の時代状況の差は歴然としている。
 それでもつぎの三つの類似点を重視する立場から精動運動史の再現を試みたい。
 第一は代表制民主制に対する国民の懐疑である。
 さきの総選挙(12月16日)の得票率は、戦後最低の記録を更新しただけでなく、憲政史上最低の59.3パーセントだった。
対する精動運動が始まる直前の総選挙(1937年4月30日)の得票率は、男子普通選挙制度の実施以来、最低の73.3パーセントである。
代表民主制に対する国民の懐疑が精動運動をもたらしたのだとすれば、精動運動史が今日に示唆するところは何かしらあるだろう。
 第二は共同体の再生である。
 2011年に3・11大震災を直接のきっかけとして、「絆」や「助け合い」が合言葉となった。
それより前から国民は疲れていた。
小泉純一郎内閣の新自由主義的な改革は、「勝ち組」と「負け組」の社会的な意識をもたらした。
経済の右肩下がりの状況が続く。
競争よりも協力を求めて、復古的な家族共同体から「新しい公共」の考えに基づくコミュニティまで、多様な共同体志向が生れるようになった。
対する精動運動も互助の精神を掲げて、失われた古き良き共同体を再建しようとした。
その結果を知ることは、過去にさかのぼりながら、未来を予見することにつながるだろう。
 第三は社会の平準化である。
 今の日本は他の国と同様に、社会的な中間層を厚くすることが急務となっている。
どうすれば格差社会の平準化は可能か。
日本にとってこの問題は今も戦時下も変わらない。
国民が自発的な意思で精動運動に参加したとすれば、それは精動運動による格差社会の平準化に期待したからだった。
社会の平準化を求める国民運動の行く末は、明日の日本を占う。
 それではこれから戦時下の日本にタイムスリップして、精動運動を追体験することにしたい。
(『理想だらけの戦時下日本』井上寿一 ちくま新書 2013年)

小泉純一郎元首相は、「自民党をぶっ壊す」と啖呵をきりましたが、再建(?)したと思います。
安倍晋三元首相は、維新の会と手を組んで大阪の自民党をぶっ壊したと思っています。
 今朝の父の一枚です(^^)/

 ナツメ 棗・夏芽
   クロウメモドキ科ナツメ属
 ナツメは古代中国に五行説における「五果」の一つとして非常に尊重されました。
薬用にもなり『延喜式(えんぎしき)』(典薬式)の「諸国進年料雑薬」では信濃はじめ五か国からの「大棗(たいそう)」貢納が規定されています。
 朝廷での栽培
『続日本紀(しょくにほんぎ)』神亀3年(726)9月の記事に「内裏(だいり)で玉ナツメが実ったので『玉棗詩』を作るように命じた」とあり、内裏にナツメが植栽されていたことがわかります。
また『延喜式』(内膳式)では天皇用の果樹園で「大棗」三十株を栽培することが規定されていました。
「供御月料(くごげつりょう)」として「干棗子」一斗四升二合五勺が天皇に用意されたのです。
(『有職植物図鑑』八條忠基 平凡社 2022年)