2025年6月6日金曜日

朝から

今朝の日ざしはきつかったです(^_^;
朝から28度の夏日で木陰を探しながらゆっくりと歩きました。

気温について」(気象庁)
朝ドラ「あんぱん」第10週「生きろ」 (50)
これまでの登美子の言動は、この日のために積み上げられてきたのかと思いました。
また、これまでのドラマなら主人公には正義を体現するような役柄が多かったと思うけど
今田美桜さん演じるのぶには、十字架を背負わせている。

付2・戦後の次の時代が見失ったもの
    ――粕谷一希氏に答える
       (初出『諸君!』 文藝春秋社 1979年2月号)

 現代把握の手がかり  

   
しかし、たとえあの戦争が〝悪しき戦い〟であったとしても、あの戦争と敗戦こそが今日の日本と私の生き様を創り出した根原ではないだろうか。

 手にとった雑誌の中でこの一節を読んで、おなじような感じかたを今もたもっている人がいるなと思いました(多田実「学徒出陣三五年に想う」『世界政経』1978年夏季号)。
 それが、第二次世界大戦をくぐった人だけにとどまるとすれば残念ですが、そうでないという気もします。
(『戦争体験 戦後の意味するもの』鶴見俊輔対話集 ミネルヴァ書房 1980年)
 このごろは、家にいて、テレビを見ることが多いので、朝のNHKの連続ドラマをずいぶん多く見ました。
「鳩子の海」、「水色の時」、「雲のじゅうたん」、「いちばん星」、「風見鶏」、「おていちゃん」など。
 そのどれもが、戦争の十五年を中心において、一つの構図をつくっています。
私たちの時代は、この十五年をよそにすると、まとまりができないのでしょう。
 朝の連続ドラマを見ている人びとが、敗戦後三十三年たった今、戦争の記憶をもっている人ばかりだとは思えません。
そういう人のほうが少ないかもしれません。
 朝の連続ドラマではなく、毎日曜の一年とおしのドラマのほうでは、忠臣蔵もありましたが、それとならんで明治維新ものが多いようです。
今ははっきりと数でくらべることはできませんけれども、あつかわれた時代としては、明治維新が一番多いのではないでしょうか。
 ということは、明治維新という事件をかこんで、日本人が今の日本について考えるという、一つの共同思考の型ができているということでしょう。
ここでも、明治以後に主な関心をもつ人は、国家の今ある形を分るという方向にかたむきやすく、幕末の動きに主な関心をよせる人は国家をつくるもとの社会運動をつくるという方向にむくという、わかれかたがあって、おなじ事柄をかこんで、対立する関心を語るという機会があります。
 明治維新を体験した人は、私たちのあいだいには、もうほとんどいないと言ってよいでしょう。
 それでも、明治維新のことに興味をもってもう一度それをとりあげようというのは、そこに現代を深くとらえる手がかりがあるからで、昭和の十五年間の戦争も、おなじように、体験のあるなしをこえて、今のところ、私たちの現代把握の手がかりとなっているように思えます。
 明治維新劇は、どういう国家を私たちはつくり得たか、という問題を私たちに投げかけ、昭和十五年戦争劇は、その国家の制度をどのようにいきて破局にいたったか、という問題をさしだします。
二つの劇はつながっていると言えます。
 十五年間の戦争を中心において、私たちの現代を考えようとする時、私には、かなりちがう人と一緒に座をくんでみたいという気分があります。
おなじ立場のものだけで、十五年戦争を中心に考えることが、かならずしも有益と思えません。

 …後略…

(『戦争体験 戦後の意味するもの』鶴見俊輔対話集 ミネルヴァ書房 1980年)

朝ドラ全史」(NHKアーカイブス)

大河ドラマ全史」(NHKアーカイブス)
来週の予告では千尋が海軍の軍服を着ていた(「学徒出陣」 NHKアーカイブス 1943年)。
当時、戦地に向かう兵士に贈られたのが

4 疎開――「銃後」の暮らし
 千人針
 

 盧溝橋事件から発した「北支事変」につき、政府が<自衛行動>をとることを声明し、国内三個師団に「華北派遣命令」が発令されたのは昭和12年7月27日。
 その年の暮れの12月26日、内閣情報部から発表されたのが国民歌「愛国行進曲」(「見よ東海の空明けて、旭日<きょくじつ>高く輝けば……」)である。
 官選歌「愛国行進曲」の歌詞は、鳥取県の青年詩人森川幸雄の作だが、<補作>にあたって北原白秋と佐佐木信綱が激論をたたかわせ、ほとんど原形をとどめなかった、という。
作曲は「軍艦行進曲」の瀬戸口藤吉。
昭和12年は、この「愛国行進曲」のメロディーで暮れたといわれ、六社によって同時発売されたレコードは百万枚という空前の売れ行きを見せた。
(『戦中用語集』三國一朗 岩波新書 1985年)
 NHKの国民歌謡として作られた「千人針」(サトウ・ハチロー作詞、乗松昭博作曲)も、歌詞は当時のものだが、専属の関係からレコード化がむずかしく、別に長津義司の作曲のものが関種子の歌唱で、レコードがポリドールから発売された。
乗松昭博作曲のもののレコードは、戦後井口小夜子が歌い、キングから発売されている。
  橋のたもとに街角に/千人針の人の数
  私も一針縫いたいと/じっと見ている昼の月
と、この歌にあるとおり、銀座でも新宿でも浅草でも、また東京以外の都市でも、人通りの多い街のあちこちに、千人針の布を持って立つ人、足をとめて「私も一針」と針を持つ人の姿が必ずといっていいほど見受けられたものである。
布には、あらかじめ一千個の印(しるし)が丸くつけられており、そこへ一針縫って糸を結ぶ。
一枚の「千人針」には、千人の女性の思いが縫いつけられている、というもので、これを腹にまいて出征する兵士には、敵弾も避けてとおる、とされていた。
 中でも〝トラは千里の往って千里の道を還る〟との言いつたえから、寅歳の女性は自分の歳の数だけ縫うことができた。
 私も陸軍の兵士のひとりとして、昭和19年の1月、満洲の新京の歩兵部隊に初年兵入隊したとき、一枚の千人針を持っていった。
中には「死線をこえる」というまじないに「五銭」の貨幣を縫いつけてある千人針を持ってきている新兵もいた。
 しかし実際は、この千人針にも困った問題があった。
うっかりシラミをわかすと、千個の縫い目に一匹ずつ計千匹のシラミが住みつきかねないことである。
(『戦中用語集』三國一朗 岩波新書 1985年)

朝ドラ「虎に翼」でも裁縫が苦手な寅子が出征する優三のために縫っていましたし、五銭玉を縫いつけていました。

千人針(せんにんばり)」(一関市博物館)

千人針や五銭玉、十銭玉には公然と口には出せない
無事還ってきて」ほしいという願いがこもっていると思います。
今朝の父の一枚です(^^)/
今年はアンズの実がよくなっていると写していました。

 アンズ 杏 
  バラ科スモモ属
分類 落葉小高木
学名 Prunus armeniaca
古名 唐桃(からもも)
『本草和名』 加良毛々(からもも)
『和名類聚抄』 加良毛々(からもも)

 中国では花も実も珍重された植物で、五行説における「五果」(李・杏・棗・桃・栗)の一つとされていました。
その考え方は日本にも入ってきて『二中歴(にちゅうれき)』や『拾芥抄(しゅうがいしょう)』など鎌倉時代の有職書には記されていますが、「唐桃」と呼ばれたアンズは、あまりポピュラーではなかったようです。
(『有職植物図鑑』八條忠基 平凡社 2022年)