トウバナ(シソ科)
2017年4月30日日曜日
2017年4月29日土曜日
2017年4月26日水曜日
雨で停滞…(^_-)
朝から雨が降っていたのでリハビリ散歩をあきらめて
耳鼻科を受診(週に一度の定期通院)
その後、散髪に行きました。
シャンプーしてもらって税込み1900円です(*^ー゜)
午後から家でのんびり本を読んでいました。
登山をしていた頃、雨で山小屋にとどまることを
「停滞」とか「沈殿」なんて言っていました(*´∀`*)
耳鼻科を受診(週に一度の定期通院)
その後、散髪に行きました。
シャンプーしてもらって税込み1900円です(*^ー゜)
午後から家でのんびり本を読んでいました。
登山をしていた頃、雨で山小屋にとどまることを
「停滞」とか「沈殿」なんて言っていました(*´∀`*)
2017年4月25日火曜日
2017年4月24日月曜日
2017年4月23日日曜日
2017年4月22日土曜日
2017年4月20日木曜日
2017年4月19日水曜日
2017年4月14日金曜日
4月5日~4月14日
母の闘病などを記録に残しておきます。
4月5日(水)
午後から様子がおかしいとの病院からの連絡。
40度の発熱があり、
導尿するとはじめは澄んでいたがお腹を押すとドロドロの尿が出てきたそうだ。
腎盂腎炎の可能性があり、肺炎も併発、敗血症の危険性あり。
4月5日(水)
午後から様子がおかしいとの病院からの連絡。
40度の発熱があり、
導尿するとはじめは澄んでいたがお腹を押すとドロドロの尿が出てきたそうだ。
腎盂腎炎の可能性があり、肺炎も併発、敗血症の危険性あり。
2017年4月5日水曜日
2017年4月4日火曜日
暖かいというよりも暑さを感じるほど
こぶし
コブシに辛夷の字を当てるのは誤用で、辛夷とは元来モクレンのことであるとは、故牧野富太郎博士の説である。
同じくモクレン科で、花の色が違うだけで、3枚の小さな萼片と6枚のおおきなへら型の花弁にかこまれた真ん中の軸上に、多数の雌しべと雄しべがつくという点では両者はよく似ている(花の白いハクモクレンは花被が9枚ある)。
葉が先太りであるところまで似ている。
ただコブシの葉の裏面は白っぽいが、モクレンは裏面の葉脈に沿って細かい毛が生えている。
野生の花木として、春一番早く咲く花の代表であり、最大級の花を咲かせるものの一つである。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編/朝日文庫1988年)
コブシに辛夷の字を当てるのは誤用で、辛夷とは元来モクレンのことであるとは、故牧野富太郎博士の説である。
同じくモクレン科で、花の色が違うだけで、3枚の小さな萼片と6枚のおおきなへら型の花弁にかこまれた真ん中の軸上に、多数の雌しべと雄しべがつくという点では両者はよく似ている(花の白いハクモクレンは花被が9枚ある)。
葉が先太りであるところまで似ている。
ただコブシの葉の裏面は白っぽいが、モクレンは裏面の葉脈に沿って細かい毛が生えている。
野生の花木として、春一番早く咲く花の代表であり、最大級の花を咲かせるものの一つである。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編/朝日文庫1988年)
2017年4月3日月曜日
一気に春がやって来ました♪
【万葉集の桃】
桃は中国原産の果樹。
古く中国では邪気を祓う霊力があると信じられていた。
『古事記』には黄泉国から逃げてきたイザナギノミコトが、
境界の坂まで追いかけてきた軍勢に桃の実を投げつけて撃退するという神話が残されているが、
万葉集にはそのような歌はない。
巻十九の巻頭歌
春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子 (4139)
は、大伴家持作歌の中でも「越中秀吟」と評せられる一連の歌の代表的作品である。
この「桃」の表現については漢詩の受容を中心として芳賀紀雄が詳細に論じている(『万葉集における中国文学の受容』)。
「桃」を題材にした歌は万葉集に六首残るが、桃の花を詠んだものは家持作歌に二首残るだけである。
桃は中国原産の果樹。
古く中国では邪気を祓う霊力があると信じられていた。
『古事記』には黄泉国から逃げてきたイザナギノミコトが、
境界の坂まで追いかけてきた軍勢に桃の実を投げつけて撃退するという神話が残されているが、
万葉集にはそのような歌はない。
巻十九の巻頭歌
春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子 (4139)
は、大伴家持作歌の中でも「越中秀吟」と評せられる一連の歌の代表的作品である。
この「桃」の表現については漢詩の受容を中心として芳賀紀雄が詳細に論じている(『万葉集における中国文学の受容』)。
「桃」を題材にした歌は万葉集に六首残るが、桃の花を詠んだものは家持作歌に二首残るだけである。
2017年4月2日日曜日
2017年4月1日土曜日
もう卯月(四月)ですね…
巻第十九 4140 大伴家持
わが園の李(すもも)の花か庭に降(ふ)るはだれのいまだ残りたるかも
わが庭の李の花だろうか、庭に降った薄雪がまだ残っているのだろうか。
(『万葉集(五)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2015年)
わが園の李(すもも)の花か庭に降(ふ)るはだれのいまだ残りたるかも
わが庭の李の花だろうか、庭に降った薄雪がまだ残っているのだろうか。
(『万葉集(五)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2015年)